魯山人倶楽部とは
“器は食のきもの”と話したという魯山人の藝の極みを、北大路家と長年にわたり京都 西陣織“きもの魯山人”ブランドとして、国内外に織りなし続けたきもの作家 松岡淑朗と西陣の支援者のもと設立されました。
魯山人さんはロックフェラー財団の招聘を受け、2万点にものぼる陶器を寄贈したこと、
きもの魯山人を愛しんだロックフェラーファミリーとの関係もあり、“きもの魯山人”の技法で作られた暖簾等もロックフェラー財団へも贈られています。またロックフェラー財団 NY Japan Society/JICA等の支援で展示会等も推進しています。
よみタイムVol.46 8月11日発行号
美食家のイメージが強い魯山人さんの言葉にはこんなものがあります。
美味しいものを食べるのではない、
美味しく食べるのだ
さらに晩年には
食はすべて神様のもの、
一家団欒の食事が一番美味しい
私たちはこうした魯山人さんの『食』の考え方を基本に、
『美味しく食べる』ことに必要なもの・環境は何かと考えています。
まずそれには、水・塩・醤油等“人を良くするもの”であり、
まさしく−食−という字の如くであります。
私たちはこの人に良い食材のある環境をさがし、
時には整備し、そして開発し提供いたします。
しかし美味しく食べることは一人ではできないことです。
食卓を囲む家族や友人仲間等がいてこそできるのです
私たちは美味しく食べることができる場と環境、関係も模索し提供いたします。
そこで我々は平成の魯山人さんになりかわり、
魯山人さんが好物だったされる日本の国民食“玉子かけ御飯”を軸に、まず玉子から始めました。
魯山人さんの藝術活動も 書や陶芸だけにおさまらず多岐にわたっています。
それらの多くは作品の為の作品でなく 魯山人さんが生きて生活するために
必要だった自分だけのモノだったのかもしれません。
その一つがこの魯山人さんが最後までお使いだった遺品の醤油さしです。(写真:近藤宏樹)
使用中に落とされ、かけた所を自ら直した跡もあります。
なんとも持ち味の暖かみのあるモノです。作品ではなかったでしょう。
その切れ味の良さは料理人をはじめ多くの方々を唸らせています。
一切、醤油が垂れのこらず、尻り漏れもなく、醤油さしの出口や食卓は綺麗なまま。
その醤油の出方も藝術的な弧曲線を描いています。
魯山人さんもこういったかもしれません
玉子かけ御飯は最高の醤油、単なる値段だけの高さや知名度のある素材で食べるものでなく、
神様からいただいたお天道様の光や熱を一杯受けた天然の農法、収穫物、生産地、木樽を含めた醸造方法…それを管理する人、使う人まで、一環したこだわりのあるものを作らなければ駄目だ!と。
『器は食のきもの』といった魯山人さんの想いは自身の生き方を美食三昧の人生といいつつも、
三位一体いわゆる神様の食材を盛る“土の器”、“作り手”、“食べる者”の感謝のココロ・霊性までも視野に入れたかもしれません。
しかし、今、このココロが食農藝の分野だけでなく、
ある意味、一家団欒・地域・人間関係・国家から失われつつあるのではないでしょうか
日本各地で暮らし、その地の食を愛し、活動をおこなっていた魯山人。
一方で、当時、数多くの国内外の財界人、藝術家、料理人、地域の人々と対峙してきた魯山人。
魯山人さんは1954年(昭和29年)にロックフェラー財団の招聘で欧米各地で展覧会と講演会が開催されたことや、財団にも多くの陶器を寄贈したこともあり、”きもの魯山人”の流れの暖簾等もロックフェラー財団へも贈られています。
もちろんすべてに活動や人物性が受け入れられたわけはないでしょう。
反感も買ったと言われています。人間国宝受託も固辞しています。
歴史を考える上でこの“もし”という言葉は大変活用するには難しいものです。
また先人の考え方を今の時代に引きもどすことがすべて良いとは限らないこともあります。
しかし、この日本の歴史、伝統、文化の再認識・再発見、そして継承と再創造を軸に
生活の中に取り戻すことができるように活動のためにはこの“もし”は必要なのではないでしょうか、
と私たちは考えました。
魯山人さんが星ヶ岡茶寮をつくり、当時最高級の料理を提供していた頃の連載誌“星ヶ岡”にある料理レシピから、
魯山人復刻料理会の担当をされたとある料理人のお話を引用させていただきます。
魯山人さんの時代の食材をその時代の調理方法で今に出すとしたら、
現在人の舌は肥え過ぎて美味しく感じてもらえませんよ?
どないします?
さてこの言葉から、現代の食農環境汚染、生活習慣病、等をもし魯山人さんが見たら、
声を詰まらせたに違いありません、『“もし”とは言わんでくれ』と。